今日の日本人は、1万年以上前から日本にいた「縄文人」と、3~7世紀に移住してきた「渡来人」との混血した子孫と言われています。
これまでに、日本を7地域に分けて遺伝的な違いと調べた研究がありますが、中国・四国地方は含まれておらず、日本人の正確な遺伝的構造が分かっていませんでした。
そこで東京大学大学院 理学系研究科は、日本人の遺伝的構造を47都道府県レベルで分析し、その詳細を初めて明らかにしました。
10月14日付けで『Journal of Human Genetics』に掲載された報告では、朝鮮半島に地理的に近い九州北部より、四国・近畿地方に渡来人の遺伝子が強く見られたと述べられています。
■関東と中部地方は遺伝的に近縁ではない?
研究チームは、ゲノム解析サービス・HealthData Labから約1万1000名のSNP遺伝子型データを用いて、日本人の遺伝的集団構造を調べました。
SNP遺伝子とは、ヒトDNAの塩基配列(A/T/G/C)に0.1%ほどの違いがある中で、1つの塩基の違いによるもの(一塩基多型、SNP)のことを指します。
その中でまず、日本人の遺伝子は、「琉球人(沖縄県)」と「本土人(他の46都道府県)」にはっきりと分かれることが確認されました。
次に、47都道府県から50名ずつランダムに選んでSNP遺伝子を調べ、そこに「中国・北京の漢民族」も含めたクラスター分析を行っています。
その結果、日本人のクラスターは、「沖縄地方」「東北・北海道地方」「近畿・四国地方」「九州・中国地方」の4つに大別されました。また、関東と中部の各県については1つのクラスターに収まらなかったようです。
これは、関東と中部地方が遺伝的に近縁ではなく、2つをまとめた遺伝子集団の研究は適切でないことを意味します。
■九州北部より「四国・近畿」の方が”渡来人”に近いことが判明
さらに、47都道府県を対象に主成分分析を行いました。
主成分分析とは、データの指標(次元)が多すぎる場合に、わかりやすく全体を1~3次元にまとめるデータ解析法のひとつです(詳しくはこちらから)。
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その結果、第1主成分は、沖縄県と46都道府県との遺伝的距離を反映していました。
図を見ると、沖縄県と遺伝的な最も近いのは鹿児島県で、次いで九州と東北も近く、最も遠いのは四国と近畿でした。また、四国・近畿地方は、地理的に近い九州北部よりも、中国・北京の漢民族と遺伝的に近縁であることが判明しています。
それから、第2主成分は、各都道府県の緯度・経度と強く関係していました。
主成分分析の結果
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/10/20201014101751.png
この結果は、「縄文人と渡来人の混血の程度」と「地理的位置関係」が、本土人の遺伝的な地域差を形づくっている原因であることを示します。
従来は、本土人のDNAの8割は渡来人由来とされていますが、四国・近畿地方では、もっと多くの渡来人が流入していたのかもしれません。
このデータを応用すれば、日本列島における縄文人と渡来人の混血の歴史がより詳しく理解できると期待されています。(大石航樹)
2020/10/16(金)
https://nazology.net/archives/71445
★1:2020/10/20(火) 22:45:15.60
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1603240583/
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1603248973/
長野山梨って内陸部なのに結構渡来の血が高いんだな
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
>本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統である可能性が高いことを示している
考古学「日本の先住民はアイヌ」
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html
>縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
言語学「日本の先住民はアイヌ」
id.nii.ac.jp/1204/00000541/
>東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
竹田恒泰 小野寺まさる チャンネル桜
「アイヌは鎌倉時代に樺太からきた侵略者!アイヌが日本列島の先住民族なわけがない!蝦夷とアイヌは別物!日本はけっして蝦夷地を侵略しなかった!アイヌへの差別などなかった!アイヌはもういない!アイヌは成りすまし!アイヌなんていなかった!エベンキ!ザイヌ!エベンキ!ザイヌ!うああああああ!!やめろおおおおおお!!うあああああああ!!」
(精神崩壊)
我々は、東北の地にアイヌが住んでいたのは遠い昔のことと思い込んではいないだろうか。
>「ナイ」「ベツ」で終わる地名は北海道、樺太、東北などに多く見られ、アイヌ語で「川」や「沢」を 意味する。
東北地方の「ナイ」「ベツ」地名の分布(=アイヌ語・夷語の話者)
>青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)などおびただしいアイヌ語地名がある。
>中には奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。
>古墳時代には、渡来人が大挙して上陸し現代日本人のDNAが決定づけられた。この間は、記録が空白で暗黒時代という人もいる。
>古墳時代の人骨の一番の特徴は縄文人の骨格で見られた骨太さ・頑丈さが目立たなくなったことである。
>この傾向は、大型古墳の被葬者などで非常に顕著であり、横穴墓や円筒埴輪棺などの常民墓の埋葬者ではさほどでもなく、縄文人、弥生人と大型古墳の被葬者との中間である
データを全て繋ぎ合わせると
日本の王朝は渡来人による征服王朝ってことが証明されたわけだ
天皇の古墳を調査させないのは出てきてはいけないものが出てくるからと言われていたが、結局そういうことだった
防御姓の高い集落が九州から近畿・中部へと目立つようになり
それまで人が住まなかった山地にも高地性集落が形成されるんです
高地性集落と入れ替わるようにして古墳が築造され、その地から縄文人がいなくなる・・・不思議ですよね
余談ですが、東北エミシも山間僻地に蝦夷館といわれる高地性集落を形成
シャクシャインもまた和人との戦いの最中、チャシといわれる施設を山地に築いたそうです
鹿児島出身のハロプロ・アイドル 上國料萌衣 (極度の低顔)
https://cdn.websunday.net/eximages/news/200909/0101.jpg
>南九州は、山間部では縄文人・西北九州弥生人型、平野部には土井ヶ浜弥生人型、沿岸部や離島では南九州弥生人型が多く見られる。
>山間部の西北九州弥生人型や、沿岸部の南九州弥生人の一部のグループでは、古墳時代に入ってもより低顔性を増す傾向にあったりする
647年、越後国に最初の城柵が造営される
658年、阿倍比羅夫の蝦夷征伐
このとき新潟県の辺りにいたアイヌを東北へ追い払った
それから100年ほど経て、光仁天皇が「蝦夷が良民に害を与える」などと因縁をつけて本格的な東北侵略を開始
中国の華夷思想をモノマネして東北アイヌを虐殺・奴隷化
781年、光仁天皇と百済の朝鮮嫁に生まれた桓武天皇が即位。渡来人優遇の政策をとる
797年、渡来系出自の坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
802年、蝦夷の総帥アテルイが降伏
803年、東北が平定される
このようにして和人(=百済人)はアイヌの日本列島を乗っ取った.
で、どうやって半島から四国に渡ったんだ?
https://ranking-by-region.com/nobel-prize/
支那チョンといえばノーベル賞とは無縁のコピペ&パクリ文化だからな
向こうはオボコみたいなエセ学者ばかりなんだろ
中国江南から、近畿と四国に渡来人が来た証拠
Y-DNAで人種の比定はできません。専門家に笑われてしまいます
人類学の主流はとっくに核ゲノム解析に移行
その結果、平均的日本人は
シェルパ・チベット20% (NPL_Samdzong_1500BP)
ツングース40% (RUS_Devils_Gate_Cave_N)
台湾アボリジニ25% (TWN_Hanben_3400BP)
アイヌ15% (JPN_Jomon_3800BP)
と判明.
日本人は単一民族ではなく、四種混交からなる雑種だった
https://europepmc.org/articles/PMC4701090/bin/261fig2.jpg
アジア人のゲノム値
pbs.twimg.com/media/EU5r-EnXgAM686R.png
日本人は単一民族ではなく、四種混交からなる雑種
科学の結果を受け入れろ
https://europepmc.org/articles/PMC4701090/bin/261fig2.jpg
>日本の農耕の始まりの議論では、しばしば、縄文人が水田稲作という新しい生活の術を受容したと書かれている。
>それは外来の文化を受容し発展させたのは、「日本列島の在来の人間であった」と考えたい気持ちが背景にあるからだろう。
>人類学的形質から見ると、人間の形質が入れ替わるほどの変化がある期間に起こったのである。
>世界の歴史から見ると、農耕民と非農耕民の接触では、大体後者が駆逐されるという運命になっている。
>山東半島や朝鮮半島の水稲栽培の開始時期を調べたら山東半島→朝鮮半島中部→朝鮮半島南部→唐津市菜畑遺跡の順番で始まっているのが分かったから渡来ルートが確定したんだよ あんまりしょうもない嘘ばっかり書くな
渡来人の血が濃いんだろうって感じはするね
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。
その一方で、北海道では、近代まで維持された。
>日本各地でみられた縄文時代人骨のいわば「旧石器時代人」的特徴は、弥生時代に入り各地で失われてくる。
>顔面の平坦さも日本の広い範囲で見られるようになる。
>弥生時代に北部九州・山口群に頭蓋形態小変異の頻度の変化が見られたが、古代には関東地域まで広がる。
>一方、上顔高や身長の増大は、北部九州から畿内にかけての限定的な変化であったようだ。
>その後、咀嚼器官の退化に伴うと思われる長頭化と短頭化が見られ、現代に入っていくことになる。
>北海道では、オホーツク文化の進入にもかかわらず、縄文時代から近現代に至るまでの形態のかなりの安定さが見られるのが特徴であろう
北海道続縄文スカル(=古代アイヌ)/オホーツク人スカル(=古代ニヴフ)
https://www.sapmed.ac.jp/medm/img/7_kaisetu/30/tougai2.jpg
本州 弥生人/縄文人のスカル
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/5101.jpg
アイヌのスカル
sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/info/GD023/item/035/image/thumb/0/thmb.001.jpeg
1700年前まで関東はアイヌモシリでした
340年頃 武内宿禰に北陸・東方諸国を視察させる 宿禰は日高見国の蝦夷のことを報告 攻略を勧める
340年頃 東国の蝦夷が謀反し、日本武尊を派遣
478年 (宋書) “東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す”
1200年前まで東北はアイヌモシリでした
618年 (旧唐書) “日本の東界・北界には大山(日本アルプス)横切りその外側に毛人が住む”
659年 (新唐書) “蝦夷もまた海島の中に居る 其の使者 髭の長さ四尺許り”
797年 坂上田村麻呂 征夷大将軍
802年 蝦夷の総帥アテルイの降伏を報告 アテルイらを河内にて処刑
300年前まで津軽はアイヌモシリでした
1356年 (諏訪大明神絵詞) “『渡党』は和国の人に似て 言葉も大半は通じるが 髭面多毛な人”
1784年 (東遊記) “当地は6,70年前まではエゾ村であったが,今は風俗が変わって日本人の通りになっている”
150年前まで北海道はアイヌモシリでした
1869年 明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定
松浦武四郎は、天塩川流域を探査している時に、あるアイヌの村の長老に、「カイとは古いアイヌ語で、〈この土地に生まれた者〉」と教えられます。それで、〈北〉〈カイ〉〈道〉。北加伊道は北蝦夷道というのと同じである。すなわちアイヌの国を意味している。
児島恭子は「元代の骨鬼、明代の苦冗、苦夷、清代の庫野、庫貢、庫葉などは、蝦夷と音が近いkuye、kui、koe、kughi」であるとし
「現代でもアムール川下流やサハリン住民のうちトゥングース・満州系諸族がkui、 ニヴヒがkuyiと呼んでいる民族がアイヌである」点から
「蝦夷(カイ)」は中国においてアイヌの先祖を音訳によって表記し、それが日本にもたらされたものと考える。
平安初期の「弘仁私記」の序にも、蝦夷に「カイ」とルビをふっている。平安末の「伊呂波字類抄」にも、カイの条に「蝦夷」とある。
日本の東北にいる異族のことを、古い時代には「毛人(エミシ)」と書いていた。その後、斉明天皇の時代に支那からの帰化人で遣唐使の通弁として随行した伊吉連博徳が、初めてこの種族を「蝦夷(カイ)」と書いた。
関西人の先祖である扶余系漢族とは別種です
いや京都は東西の交通の要所でしょ
奈良こそ要害で次第に使い勝手が悪くなって京都に遷都した
あのへんから入ってきたんだなとわかる
高いけど面白いし図書館で見つければタダだ
全体を眺めればそれだけでも小林なんとかの
アイヌは6つあるいは7つの別系統の言語を話すバラバラの民族だ
なんていう説がトンチンカンのデタラメだということがわかる.
ネトウヨの親玉が広めた珍説
https://i.imgur.com/5qpOOUT.jpg
都市と地方じゃ他人種交配全然違う
アイヌは日本列島の先住民
和人は朝鮮半島の先住民
朝鮮半島南部の前方後円形墳
ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3193962
>朝鮮における無文土器文化の担い手は日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。[4][5][6][7][8]
>これらの説によれば現代の朝鮮語族に属する言語は満州南部から朝鮮北部にわたる地域で確立され、
>朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
>またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=270746
ペニンシュラ・ジャポニック(半島日本語)
https://en.wikipedia.org/wiki/Peninsular_Japonic
なんじゃこれ〜!?
埼玉は東北出身だらけ
神奈川は関西出身だらけ
子供達は未来人
無文土器朝鮮人(ムムン・コリアン)が弥生人の祖で確定
半島南部と九州北部を支配し、日本語の型となる言語を喋っていた人たちです
白村江の戦いで半島から追い出されたので、いまでもチョーセン人(新羅人)をひどく憎んでいる
日本書紀を編纂したのもムムン・コリアン
彼らには縄文時代など存在しない だから弥生時代より前は神話の時代として偽造した
名字に「藤」が入る人達、藤原系も、やっぱりムムン・コリアン
佐藤などに代表される、この「藤」系がO1b2のボリューム層(=のっぺり・クソ出っ歯)
後からやってきたのに、あたかも遥か古から列島に暮らしてきた縄文人のように振る舞っている詐欺集団.
日本語は朝鮮無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/
頭骨比較 旧石器/縄文/弥生/古墳
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140829/413347/001.jpg
弥生人はやっぱ出っ歯気味だなw
日本人の血筋はもうないよ。
そういった人達はなぜか優位性で物を語りたがる
賢者はわざわざ自分から自慢して回る必要はない
逆説的に、誇示するような人達は返って愚者であり、苦境に立たされている
そういった不満を解消する必要がある
その頃の畿内とか幾ら掘っても銅鐸と掘っ立て小屋と田んぼの畦道くらいしか出て来んからな
あと蛙を食したであろう残骨も出てくるな
新参渡来が大国主に女貢いで開拓やら田んぼやりながら必死に生きてたんやろね
近畿一円がスケールのデカい渡来人部落みたいなもんやな
「朝鮮半島から先進文明を持った人々が渡ってきて先住の縄文人を殺し
縄文時代とは根本的に性格を異にする弥生時代が始まった」
という主張をかなりの説得力を持って示している。読めば納得、というやつだ。
しかしなんと、『銃、病原菌、鉄』が和訳される時、その章だけ訳されなかった。
マンガのような話だが事実。大笑い。
「弥生人=朝鮮人」という真実がそんなに都合悪いのか。
その訳し飛ばされた部分を訳してくれた人がいる
https://cruel.org/diamond/whoarethejapanese.html
後フィリピンとかも沖縄と比較がみたい
ほらこんなに日本人にそっくりですと次々映された現地の人の顔が半数近くはどう見ても半島系のが入ってるので
えっこれ半島顔じゃんこれも違うじゃん半島顔じゃんと実況に書いてたらけっこうな反論くらって
「一般的な日本人の顔」のイメージには差があると気づいた先祖代々関東人
お分かりですね?
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化
が、大まかな流れか
っつかこのスレパート7まで言ってんのかよwお前らって食いつきわかりやすいのなw
なぜかソースにないチョン連呼が沸くからな
それ以外の場所を探したら近畿四国だったってことだろ。
縄文系の形質だと思ってない?
ヤマトタケル、坂上田村麻呂、天皇、etc.
みんな 「土井ヶ浜弥生人」 の形質だよ
土井ヶ浜弥生人(山口県)
http://www.iokikai.or.jp/doigahama161.jpg
>核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。
長州藩(山口県)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/25/Keiheitai.jpg/880px-Keiheitai.jpg
ザイヌ!ザイヌ!と騒ぐけど
そもそも桓武天皇と坂上田村麻呂が『在日コリアン』なのです
彼らが中心となって東北アイヌを虐殺した
今日の東北人の顔がのっぺりしてるのは、この2人のせいだと思っていい
>蝦夷征伐(770 – 811)
坂上田村麻呂(758 – 811)
>田村麻呂の出自をたどると、渡来系の氏族で、中国後漢の霊帝の子孫で、 阿知使主を祖とする東漢氏の一族と伝えている。ところが、阿知使主は朝鮮半島南部から渡来しているので、朝鮮半島系というのが事実のようである。
桓武天皇(737 – 806)
>>781年、桓武天皇が即位。生母である高野新笠は武寧王を祖とする百済系渡来系氏族の和氏出身で、桓武の登場によって渡来系氏族は優遇措置がなされることもあった。
※嫁も渡来系
>坂上田村麻呂の妻は三善高子(三善清継の娘)。三善氏(みよしし)は、日本の姓氏の1つ。元は渡来人系の一族であるが、実際には百済系の一族と漢族系の一族の2系統が存在する。
ブログの人が小野寺まさるを完全論破
もう恥ずかしくて外歩けない小野寺さん
アイヌ先住の地であるアイヌモシリから出ていかないと
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_30.html
和人が「北海道の侵略者」という事実を受け入れられず精神崩壊した哀れなおっさん
小野寺まさる@onoderamasaru
今日の北海道新聞です!言論弾圧を始めようとしているのは明白です。
国立民族博物館なのだから史実と学術的見地から反論すれば良いものを何が差別だ!
そもそも誰が差別したんだよ?
ウポポイ攻撃は徹底的にならねばなりませんな。
2020年9月2日
アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律案
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCBA2A.htm
三種の神器は長江文明の物
「縄文人と弥生人は仲良く混血しました」
→ 倭国大乱から蝦夷征伐まで殺し合いの痕跡多数
「日本はアイヌの地を侵略などしなかった」
→ 記紀に『日高見国の蝦夷を討ち取り、肥沃の地を奪え』という記述あり
日本史のスタート・ポイントからアイヌの地を侵略しつづけている
「人種の入れ替わりはなかった」
→ 核ゲノム解析によると、現代日本人は、弥生90%・縄文10%
弥生時代に人種が入れ替わった
>渡来人は2世紀から、縄文人にはない鉄製の器具、ガラスの装飾品を持って来て、徐々に同化したと思われてきた。
>しかし、青谷上寺地遺跡では、2世紀後半に渡来人がまとまって来て、縄文人と入れ替わった形跡がある。
>そこで発掘された人骨には、矢じりによる殺傷傷があり、戦闘があった。
「東北弥生人」なる意味不明な名称を用い、ウソの歴史を子供に教える和人
弥生時代に東北に住んでいたのはアイヌ。「東北アイヌ」と表記するのが正しい